東京都八王子市と鉄道
東京都八王子市の歴史を紐解いていく上で路線の計画や集客という観点から無視できないのが、離れた位置にある高尾山の存在です。
当時の鉄道というのはいかに中央部により良い路線を延伸させられるのかが肝になっており、各私鉄がしのぎを削って競争をしていました。
そうした中八王子は立地柄府中での乗り換えを余儀なくされる必要性があるので、各企業が避けるようになったり停車駅として重きを置かなくなりました。
当然人口や往来する人や物が減少傾向になり次第に街全体の活気を損なう起因になるのですが、そこで八王子市の歴史の転換手となったのは昭和2年に郊外に完成したお墓です。
都市部からお参りに訪れる方が後を絶たず鉄道路線の整備が急ピッチで進められたのですが、そこから先へは発展していきませんでした。
つまり残り半分を完成させると重要な交通の要衝となる状態であったのですが、その時にブームになっていたのが高尾山へのハイキングです。
高度成長期も相まって休日には登山の道具を片手に装備をしっかりとした方々が山を目指して出かけるのがブームになっていたのですが、そこに目をつけて1967年に路線を山の麓まで延伸させました。
休業していたケーブルカーの復活も相まって、八王子市は人が往来する機会が大幅に増えて発展しました。